巨大ながらも簡素な造り
境内の入口にそびえ立つ大門。樹齢3000年の台湾檜を使って建てられており、扉の内側は180cmの一枚板でできている。これらの木材は、乃木希典が台湾総督を務めていたことが縁となって使われたもので、拝殿や本殿にも使われている。また、通常このような門にはさまざまな装飾が施されているものだが、質素倹約を旨とした乃木希典の生き方を表すために、簡素な造りになっている。
社殿を守るように鎮座する愛馬
本殿の前に建つ社殿。神門と同様に天井や欄間などに装飾はなく、重厚かつ素朴な造りとなっている。正面には、後藤貞行が奉納した絵馬が掲げられており、乃木希典の愛馬が駆け巡る姿が彫られている。また、拝殿の前には、乃木希典の愛馬であり、ロシアのステッセル将軍から贈られた白馬・壽号とその子馬・璞号の銅像が鎮座している。
司令部に使われた南満州の民家
日露戦争の際、乃木希典が第三軍司令部として使用していた建物。旅順攻略の指揮を取るために約1年間起居していた民家で、神社建立の際に村野山人が現地に行き、家主から建物を買い上げて移築した。内部は展示館となっており、乃木希典の寝室などが当時のまま残されている。
また、境内には乃木希典が幼少時代を過ごした長府の家を復元した長府旧邸もある。
静子夫人を祀るための社が起源
1919年に建立された恵比寿神を祀る境内摂社。乃木神社の創建当時は乃木希典一柱しか祀ることが許可されなかったため、乃木静子を祀るための「靜魂神社」として建立された。その後、恵比須神を首座とする七福神が合祀されて「靜魂七福社」となり、乃木神社創建90周年の2006年に、乃木静子の御霊を本殿に遷して「山城ゑびす神社」となった。
霊験あらたかな勝運の縁起水
拝殿の前に湧き出る水。名水と名高い伏見の水脈から取水されており、飲用をはじめ、病気平癒や元気回復、勝運などのご利益があるとされる。周辺開発により長らく枯渇していたが、2006年に掘削を試みたところ再び湧き出した。また、勝水の隣には乃木希典の大好物だった縁起物の「勝栗」に因んだ「全てに勝ちま栗の祠」が建てられており、勝水が復活した日に参拝した人によって寄進された。