ほうこうじ
方広寺
(京都駅周辺)
豊臣家滅亡のきっかけとなった梵鐘
方広寺は、1586年に豊臣秀吉によって創建された寺院。境内には徳川家康が大坂の陣を起こす口実にしたことで有名な梵鐘が吊るされているほか、かつて存在した大仏殿の遺物が数点残されている。巨大な石積みが続く石塁や大仏殿跡地、耳塚など、歴史的価値の高い境外の史跡も見所。
巨大大仏に相応しい広大な規模だった寺院
方広寺は、豊臣秀吉が奈良の東大寺に倣って建立した大仏を管理するために建立した寺院。高さ19mの大仏を安置していた大仏殿は南北約90m、東西約55mと広大で、かつては妙法院や豊国神社、京都国立博物館、三十三間堂などを寺域に含むほどの規模を誇っていた。その後明治政府による江戸幕府領の収公が行われ、1870年には現在の規模にまで縮小した。