だいとくじ
大徳寺
(西陣)
多くの文化財と境内塔頭を有する大寺院
大徳寺は、2つの別院と22の境内塔頭を有する、臨済宗大徳寺派の大本山。千利休が上層を増設した山門や、「一休さん」の愛称で知られる一休宗純が再興した仏殿など、境内のほとんどの建造物が重要文化財に指定されている。仏殿以外の伽藍は通常非公開だが、曝涼展や特別拝観時には国宝の唐門や絵画などが公開される。また、幽玄な雰囲気の参道が魅力的な高桐院や、利休が豊臣秀吉に振る舞った抹茶が味わえる大仙院、個性的な庭園を持つ龍源院や瑞峯院などの塔頭寺院も併せて拝観したい。
広大な寺領では織田信長の葬儀も行われた
大徳寺は、1319年に宗峰妙超が開いた「大徳」という小庵が起源。花園上皇や後醍醐天皇から支持されるも、1336年の足利政権成立以降は将軍家から軽んじられ、五山から除かれた。応仁の乱後は、一休宗純が住持し、貴族や大名、商人など幅広い層から支持を受けて再興する。桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、寺領を寄進し信長の菩提を弔うための総見院を建立すると、戦国武将が相次いで塔頭を建立して隆盛を極めた。